コロナ蔓延する中国で、中国人の優しいお兄さんに助けられた

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注意:前回記事同様、この記事は公開日が2月ですが、1月下旬に書いたものです。時系列がずれていることを念頭にお読みください。

 

前回、中国上海経由でプラハへ向かうつもりが、なぜか西安に降ろされ、日本語はおろか英語もチェコ語も通じない場所で大ピンチに陥った榊。

前回↓

前々回↓

バカでかい日本語の独り言を、半泣きでしゃべる変な日本人を助けてくれた中国人のお兄さんのお話です。

 

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日本語のできる中国人のお兄ちゃん

すごい。

昔から父親には「海外で言葉が通じなくて本当に困ったときは、大きい声で『誰か日本語わかる方いませんかー!?』って叫ぶんだぞ。誰か日本語話せる人が助けてくれるかもしれない。」と言われて育ってきました。

 

この時、西安の空港で、その父の教えは完っっっっっ全に頭からすっぽ抜けていたのですが、素で教えの如く行動していたみたいです。

 

本当に効果あるとは正直そんなに思っていませんでした。
いつも父がこの話を始めると「でた、またこの話かよ~父酔ってんな~」とか思っていました。

だってそんな状況がまず想像できないし、英語が苦手の極みな榊は、海外に行くときは絶対誰かと一緒じゃないといかないだろうと昔からずっと思っていたからです。
「てかその状況になったとしてそんな誰か助けてくれる人いるもんかね。」と思っていたのもあります。

ホントに助けてくれる。

 

私が運良いだけかもしれませんが、意外と日本語出来る人って周囲にいます。
ありがたい話です。
日本語は丁寧語くらいの敬語表現までであれば、「意思の疎通だけなら」簡単な言語ですからね。

中国人の彼はそこまで流暢とはいかないものの、私の英語レベルよりはるかに高い日本語力を有していて大変助かりました。

そしてとてつもなくいい人。

 

伝わらないところは根気よく説明してくれて、私は無事書類を書き上げました。
その後中国人と外国人と別のレーンでイミグレーションみたいなのを通過したのですが、なんと通過したところでも私のこと待っててくれました。本当神。

私は自分の書類を書くので精一杯だったのですが、彼は私の書類を一緒に書きながら最終目的地が一緒であることを確認して、乗り換え時に不便がないよう私のこと待っててくれたみたいです。

もうすげえ良い人。

 

彼は上海の近くにある杭州から来たそうで、チェコのプラハとイタリアのシチリアに行くとのことでした。
大学とかで日本語勉強してるのかな~とか留学で来たことあるのかな~と思っていたら、まさかの完全独学でした。
すごい。

イントネーションや助詞、助動詞、ところどころの変化など完璧ではないものの、意思の疎通には問題ないくらい話していました。

 

一人称も「俺」でしたし。
(日本語を話せる外国人さんと話すときはよく一人称を気にして聞いてます。「私」を使う人が大半ですが、男性の場合「僕」や「俺」を使っている人は映像作品で日本をよく知っているか、日本語を話し慣れていることが多いから、どのくらい砕けた日本語を話しても相手が理解してくれるかどうかの指標になります。あくまで参考程度ですが。)

 

しかも、彼は日本に来たことがあるのは北海道に一度だけ。
アニメやドラマを見て日本語の音を学んで、少し本で勉強したと言っていました。
村上春樹『ダンスダンスダンス』が好きだそうで、その舞台に行きたくて北海道に旅行したのだそうです。

聖地巡礼するために海外行くんだから相当好きですよね。
海外は本当に村上春樹ファン多くて、毎度私も読まなきゃなぁと思います。
(毎度思うものの全然読めてない)

 

さて、そんなこんなでとりあえず無事西安の空港、搭乗口前まで来ることができました。
中国人の彼といろいろお話をしながら時間をつぶし、飛行機に乗ったところで席は別なので、滞在中プラハで飲みに行く約束をして別れました。

 

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プラハまでの十数時間

プラハへ行く飛行機が離陸する前、CAさんが全ての乗客の額に機械をあて、体温を測っていきました。

もうめちゃくちゃ緊張しました。
ここで熱あったら降ろされかねないですからね。

プラハに行くどころか、西安で降ろされて中国から出られなくなったらマジでどうしようかと思いました。
想像するだけで冷や汗が出ます。

 

幸い私は特に何を言われることもなかったのですが、出発が相当遅れました
何かしらのトラブルがあったのでしょう。
2時間くらいは遅れたような気がします。このまま西安を出られないのではないかとヒヤヒヤでした。
無事出発できてよかったです。

 

以前の記事でも書いたように、中国では団体での海外旅行を制限したためか、あるいはウイルスのために個人旅行もキャンセルする人がいるのか、機内はかなり空いていました。
私は窓から2つ目の座席で通路側、窓側には中国人の女性が座りました。
上海から西安までと同じ方です。

 

長時間のフライトなのでところどころ寝ますし、読まなくてはならない本を2冊と、この記事を書くためのPC、その他チェコ語の勉強用に単語の書いてある簡単なコピー用紙を広げてました。
やることいっぱいかよ。

とりあえず一冊は本を読めたのですが、この記事とその前のいくつかの記事が時間かかりすぎて結局そんなにいろいろできませんでした。
でもとりあえず久々に一冊本を読み切ることができてよかったなぁという感じです。

 

そして何よりも、機内がガラガラということ。

快適の極みでした。

 

はじめは二つ座席が並んでいるところの通路側に座っており、窓側に知らない中国人女性が座ってました。
離陸してしばらくしたら、その女性がCAさんのところへ向かい、空いていたひとつ前の座席に移動させてもらっていました。

おかげさまで二人分の座席でのびのびと10時間以上のフライトを過ごすことができました。
ラッキー。

しかし、近くには5人分の席を一人で占領して横になって寝ている男性とかいて強えぇぇえええって思いました。うける。

 

とはいえ、私もコロナウイルスは怖いので、上海空港でのトランジットの際と同様にものすごい頻繁に自分の手をはじめ、PCやスマホ、座席のひじ掛けや前の座席についている机や液晶など、片っ端から除菌してました。

30枚入り?の除菌ティッシュを羽田からプラハの空港に到着するまでの間ですべて使い切りました。
前の記事でも書きましたが、もう手カッッッッッッッサカサですよ。なんでハンドクリームをでかい鞄に入れたんだお前。

 

続き↓

 

 

この記事のサムネイルについて

Instagramでは留学中の写真をまとめています。

これらをトリミングしブログのサムネイルに使用していますので、興味のある方はぜひのぞいてみてください。

こちらの方が画質よく見ることができます。

 

 
 
 
 
 
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