こんにちは。榊アキです。
こちらの記事はゆる言語学ラジオ非公式 Advent Calendar 2023 の21日目の記事です。
25日どころか年が明けて次の年のアドベントカレンダーの一番最後に出させてもらうことになりました(?????)。
2024年の記事ちょっと多いぜ〜!と思って楽しんでください(?)本当にすみません。
2024年も面白い記事が目白押しです。ぜひ。
ここから下は一年前に書いたものをそのまま残しています。
2024年12月現在、東海道はとっくに歩き終わり、私は再びチェコ共和国にいます。ワーホリ中です。
は?って感じですね。
はじめに
昨年も参加させていただきましたが、ゆる言語学ラジオ非公式 Advent Calendar2年目です。
昨年の記事↓
このHP、1年間で更新がなさすぎる。
私榊アキ(ゆサD内ユーザネーム:skk)は、仕事の合間に時間を作って旧東海道を歩いています。
現在地は東京日本橋から滋賀県三雲駅までの450kmくらいを歩いたところです。
あと一回泊まりで行けば京都三条大橋着けるな〜くらいの位置にいます。
アドベントカレンダーまでにゴールできていたら踏破感想でも良かったのですが、まだ少し先になりそうなことと、東海道をちゃんと歩いて知った、一番伝えたいことってなんだろう、と考えた結果の本記事です。
よろしくお願いします。
「○○なんもない」←お前が”お出かけ下手”なだけ
まず旅行好きとして、この「○○(場所)なんもないよ」という発言が我慢ならないのです。という話をさせてください。
絶対なんもねえことねえわクソボケが。
といつも心の中で思っています。自身の出身地や居住地に対して自虐的に使うことも多いですが、住んだこともない人間が、旅行やお出かけの対象地にこの言葉を使うのが信じられません。
「それお前が旅行下手なだけじゃね?」と思うのです。
学生時代に47都道府県を踏破し、ヨーロッパ留学中にもいろいろな国の小さな村や田舎町に行ったり、街中の小さな歴史看板を巡ったり、社会人の現在は東海道踏破の目標に王手をかけるところまで旅行しています。
そんな中で学生時代に思い至ったのは「なんもないことってほぼないし、そもそも、そう感じるのは自分に学がないだけなのでは?」というところでした。
何もない、と感じるのは世界の解像度が低く、その場所を楽しむための知識と想像力が足りていないだけです。
今時、全人類手元に賢い板を携えているんですから、見知らぬ土地だって何かしらの情報はつかめるはずです。
特に日本国内なんて大昔から文字で記録が残っているんですから、探しゃなんだって出て来ます。
野山にだって虫も草も木もあるし、動物だっています。土や気候を見たっていいです。なんもないと思ったあなたは、まずその自治体にある博物館、資料館、寺社に行きましょう。
なんもなくておもんないのはお前じゃ。
今回の記事はそんな私の主観ゴリゴリ、静岡県内東海道の情報観光のススメです。
静岡はデカい
静岡県はご存じの通り、東海地方随一の大きさを誇る都道府県で、関東と関西を陸路最短で行き来するためには必ず通らなくてはならない場所です。
とてもでかい。
面積は7,777㎢です。
クイズや豆知識などでも時々使われているかと思います。クリシェですね。
新幹線移動はもちろん、端から端まで車で走るのも大変な距離です。が、ここで「地獄」という大変不名誉な言葉を使うのは、新幹線や車よりも、JRが販売している「青春18きっぷ」利用者の声が圧倒的に多いかと思います。
「青春18きっぷ」とは
一応簡単に説明します。要は格安切符です。
全国のJR線の普通列車が1回あたり2,410円で1日乗り放題です。1人で5回分または5人までのグループ利用ができます。
JR東日本 https://www.jreast.co.jp/tickets/info.aspx?GoodsCd=2848
5回分12,050円なので、1回1日2,410円でJRの普通列車が全国どこでも乗り放題です。新幹線で東京大阪間を移動することを考えると破格ですね。その代わり丸一日かかりますが。
JRが春、夏、冬の期間限定で販売しています。
※2024年、青春18きっぷ仕様変更が入ったらしいです……かなしい。私がアドベントカレンダーを1年遅刻したおかげで一言入れねばならなくなりました。気になる方は各自詳細確認してみてください。
私も18きっぷはほぼ毎回購入しており、そのおかげで東海道歩き以外でも静岡県は確実に20回は通っていると思います。
そんな18きっぱー(18きっぷ利用者)たちは静岡県内の移動がしんどいということで、何かと以下のような理由をもって静岡を「地獄」と言うのを見かけます(特に首都圏在住民)。
もちろん18きっぱーでなくとも、新幹線や車での移動時、静岡のデカさに悪態をつく人は一定数いますね。
- 長い
- 座席がロングシートしかない(最近はクロスシートの編成も増えましたが)
- 快速がない
- トイレがない車両編成がある
- 長い
- とても長い
ネット上には「青春18で地獄な地域はもっと他にある!!」という声もあります。
が、今回のテーマは「よりエグい地獄はどこか」ではなく「静岡を地獄と呼ぶ資格がお前にあるのか」です。
1割ですらデカすぎる
まず、私は1割も静岡のこと知りません。
歴史や特産、県政その他さまざまな静岡の要素はいったん置いておいて、知識としてではなく、静岡県全体の面積の中からどの程度の面積を目で見て知っているか、という観点での話です。
静岡県内を1割も見て歩けていません。多分。
百聞は一見に如かず、経験の伴わない知識はよくわからんネットの記事と同価値、をモットーに生きておりますので、今回はそれに沿った考えです。(あくまで個人の思想です。)
先ほど言いましたが静岡県の面積は7,777㎢、その中で可住地面積が2,774㎢です。
やはり流石静岡県、山林や湖がデカいですね。
そして私が実際に歩いた東海道の距離は以下です。
(静岡県内両端の宿場町から県境までは合わせて15㎞くらいですが、正確なデータがぱっと出てこなかったため一旦+αにしました。)
三島宿:日本橋からの距離 112.9km
白須賀宿:日本橋からの距離 277.4km
三島宿-白須賀宿164.5km
距離の参考↓
道幅とか計算するまでもないですね。可住地面積の1割にもはるか及びません。
これだけ歩いて私はまだ私は静岡のこと1割も目で見てない……震えます。
1割も知らない私ですら静岡の良さに気付いているというのに……。
約170㎞の徒歩移動すらせずに、静岡を揶揄する輩を焼き尽くすために私は筆を執りました。
覚悟しろ。
静岡の良さと情報観光
さて、前置きが長くなってしまいましたが、本題です。
静岡ってマジで面白いんですよ。
デカいからこそ、本当にいろいろなものがあるんです。
三島大社行って、三保の松原で富士山見て、静岡市で駿府城と登呂遺跡見て、さわやかハンバーグ食って、浜松で浜松城見て鰻と餃子食う……だけが静岡だと思っていませんか?
ゆるキャン△というキャンプの漫画、アニメ、ドラマが人気だったこともあるので、そちらの方面で詳しい人もいると思います。
が、今回は静岡の最高の自然……ではなく、ゆる言語学ラジオのサーバー民が好きそうな情報量で勝負していきたいと思います。
東海道歩き自体、かなり情報観光の側面が強いですが、その中でもおそらくゆさDの方なら「あ~!」とか「へぇ〜!」となりそうな場所をピックアップしました。
全部知っていたら、静岡県民か東海道歩きの民か、謎の静岡マスターですね。
静岡県内東海道オススメ情報観光10選
紹介する場所の位置はこんな感じです。
気になるところだけでも読んでみてください。
1 由比の桜エビ
桜エビ、美味しいですよね。
実は、日本国内では静岡県の駿河湾でしか水揚げされていないって知っていましたか?
世界に広げても、台湾と静岡のみの水揚げです。
日本国内でも他の地域に生息していないわけではないのですが、漁業許可を受けているのが静岡の駿河湾のみとなっています。
駿河湾は富士川・安倍川・大井川から流れ込む山々の栄養によって様々な魚介類が生息しており、桜エビもそのうちの一種というわけです。
旬は春(3~6月)と秋(10~12月)ですが、次に挙げるオススメスポットの兼ね合いもあるので、春の方がオススメです。
ちなみに私は7月に行きました。
それでもめちゃくちゃ美味しかったのですが、春行ったらもっと美味しいらしいです。
駿河湾の桜エビについて詳しく解説しているサイト↓
JR由比駅の周辺で電車や高速道路を降りたことがある人は、おそらくそれほど多くはないのではないでしょうか。
駅前こんな感じですし。
そして線路駅舎とは反対の海側には漁港があります。
高架下を通って、本当にすぐ漁港です。
ここ歩いていいのかなぁと思いがちですが、道中看板もあるので大丈夫です。
全国水揚げ1位(当たり前)の桜エビはここで堪能しましょう。
本当に全部美味しいです。
待っている間もテーブルで情報を摂取します。
桜エビのかき揚げ、釜揚げ桜エビ、生桜エビ、桜エビの甘煮、桜エビのお吸い物です。
全っっっっっ部桜エビです。
卓上の塩まで、桜エビの粉末が入ったピンクの可愛いお塩でした。
「お姉ちゃん可愛いからかき揚げハートにしといたよ!」なんて言ってくれる店主でお茶目です。私でやってくれるので混んでなければ多分全人類やってくれます。
マジで全部美味しい。
桜エビ漁や駿河湾に思いを馳せながら、情報と伴に味わってください。
2 薩埵峠
薩埵峠(さったとうげ)は東海道の中でも箱根峠、鈴鹿峠と併せて3大難所に数えられる峠です。
難読漢字かつ、変換で一発で出ないあたりも情報量ポイント高くて良いですね。「埵」はJIS第3水準です。
東海道五十三次の浮世絵でもかなり広く知られている景色ではないでしょうか。
「東京富士美術館収蔵品データベース」収録
(https://www.fujibi.or.jp/collection/artwork/04337/)
私が行ったときは土砂降りで全く富士山が見えませんでした。
薩埵峠ライブカメラもありますので、気になる方は見てみてください。
1854年の安政東海地震で海岸が隆起したお陰で、現在の高速道路や電車の通る下道を通すことができるようになりました。
それまでは浮世絵の通り断崖絶壁のみで、薩埵峠を越えるしかこのあたりを行き来する方法はありませんでした。
ちなみに安政東海地震は元号変更前の嘉永に起きていますが、この年の黒船来航や度重なる大地震で翌年元号が安政に変更され、その流れでこの一連の地震も安政で呼ばれています。
これまた情報量が多くて最高ですね。
また、この薩埵峠では南北朝時代と戦国時代にそれぞれ薩埵峠の戦いがありました。南北朝時代は足利尊氏と足利直義、戦国時代は今川氏真と徳川家康なのでいづれもドのつく有名どころです。
いい情報です。
上記Wikipediaを読んでいただければわかりますが、兄弟で敵対して戦した南北朝時代に加え、戦国時代では桶狭間で織田に敗れた今川から徳川が離反し、それを見た武田が長年維持していた今川との同盟を破棄して今川に戦を仕掛け、最終的に武田と徳川で今川領を仲良く分割したりしてます。
地獄すぎる。
そのため(?)か、薩埵峠に差し掛かるあたりでこんな看板があります。
この先はいたわりのない世界です。心してかかってください。
気になる方は是非、由比で桜エビを食べ、ゆっくり歩いて薩埵峠を越え、隣の興津駅まで歩いてみてください。
都内からでも日帰りのできる距離で、静岡の美味しい特産品と、美しい景色、歴史を学べば、お手軽日帰り旅行の完成です。(※晴れの日にしましょう。)
箱根峠や鈴鹿峠は正直普通にしんどいので、山歩きに慣れていない人はひとまずこの薩埵峠でお手軽ハイキングくらいが丁度良いかと思います。基本舗装された道路だったと思います。(記憶が曖昧ですみません。)
余裕のある人は、由比の手前の蒲原駅で朝に降りて静岡市東海道広重美術館を見て由比まで歩き、桜エビを昼食にしても良いと思います。
浮世絵特化の美術館で企画展示はその時々で変わりますが、常設展示もとても丁寧に解説がついていて本当におススメです。
ここで薩埵峠の浮世絵を見て、気分を上げてから薩埵峠に臨むのが最高です。
(蒲原はかんばらと読みます。これもまた一発で読めない方もいるのでぜひ覚えておいてください。)
3 草薙神社
日本人なら基本的に誰もが知っている定番日本神話、ヤマトタケル(日本武尊、倭建命)と草薙剣(天叢雲剣)伝説の地です。
JR東海道線、草薙駅からバスが出ています。歩くと25分ほどで到着できます。
現在、三種の神器に数えられる草薙剣は本体が熱田神社に、写しが皇居の方にあるのだそうですが、歴史も含めてこのあたりを詳しく話すと、それこそ記事が余裕で一本書けてしまうので詳細は各自調べてください……。
この地は、日本武尊が東国へ向かう際に族に襲われ、周辺の草を薙ぎ払ってどうにか切り抜けたという話のあったところらしいです。
国史社伝によれば、日本武尊は東国の蝦夷がそむいたので平定するために吾嬬国に赴きました。しかし途中で逆賊が原野に火を放って日本武尊を焼き殺そうとします。 日本武尊は出発の折に伊勢の神宮へ参拝し、おばである倭姫命より頂いた剣を抜いて「遠かたや、しけきかもと、をやい鎌の」と鎌で打ち払うように唱え、祓いて剣を振り、あたりの草をことごとく薙ぎ払ったところで手打石により火をつけました。その火は逆に逆賊の方へなびいて日本武尊は無事に難を切り抜けることが出来ました。
そして日本武尊が草を薙ぎ払い難を逃れたこの土地を草薙と呼ぶようになり、その時に日本武尊が持っていた剣は天叢雲剣から草薙剣と呼ばれるようになりました。
草薙神社HP 御由緒 https://kusanagijinjya.jp/history
有名なものなので一度は耳にしたことがあると思います。
事前学習できる内容が本当にたくさんあります。「あの神話の場所か~」と思いを馳せながらぜひ訪れてみてください。
また、この草薙神社は秋季の例大祭でこの土地に伝わる無形民俗文化財龍勢(流星)煙火が打ち上げられるそうです。
昼のろし(龍勢):煙や布切れ、旗などを漂わせる
夜のろし(流星):光で合図し合う
技法はこの地に口秘伝のまま受け継がれてきて、工夫改良され、安政の頃から草薙神社の例大祭で打ち上げが続いているのだからすごいですよね。
草薙神社の境内には昔の花火の打ち上げ筒の実物も展示されています。
結構デカいです。
4 丸子宿のとろろ汁
丸子と書いて「まりこ」と読みます。昔は鞠子宿の表記でした。
静岡駅から歩いて1時間半、バスで40分程度です。
東海道と言ったら、おそらく誰もが「東海道中膝栗毛」を連想すると思います。
十返舎一九が書いた、江戸時代の滑稽本です。
話の内容としては弥次さん喜多さんという二人の男性が、江戸からのんびり東海道各地の名物を食べたり、その土地ごとのイベントを楽しんだりしながら旅をする様を描いている作品です。
そんな中で、この丸子宿でもとろろ汁を食べようとするくだりがあります。
丸子宿のとろろ汁は当時から有名で、あの松尾芭蕉も歌にしています。
こちらは旅立つ弟子への餞(はなむけ)に送ったとのことです。
梅若菜 丸子の宿の とろろ汁
春は梅が咲いて若菜が芽吹く、丸子宿のとろろ汁がおいしい季節ですからね〜旅にはもってこいですよ。(意訳)
はなむけ……?旅先グルメ紹介してるだけでは?
この松尾芭蕉、現代なら「〇〇あたり旅行行くんだよね〜」と話す人に対して「〇〇ならあそこのメシがマジでうまいから行ってみてよ。この時期だと梅咲いてて、春来てる感あるし、あの辺行くの超良いと思う。」って言ってる感じがします。
旅行ジャンキーの波動を感じる。
一緒に東海道を歩いている友人は私以上の旅行ジャンキーで、年間の旅行が二十数回(ほぼ隔週旅行の狂人)なのですが、本当にこんな感じです。どこの話題を出してもあの飯がうまい、あそこがおもろい、と会話になります。
さて、閑話休題です。
丸子のとろろ汁ですが、現在も江戸時代から400年続く丁子屋(ちょうじや)という老舗で最高のとろろ汁をいただくことができます。
創業以来427年間同じ場所で営業を続けているそうです。すごい。
正直、とろろ汁舐めてました。いや大好きですけども。
言うて、ただのとろろだろうと。
はじめはとろろに3600円以上出すのか~……とか思っていたのですが、本当にその価値があります。
感動しました。あんなに美味いとろろを食べたのは初めてです。
400年以上続くだけあるな~と思いました。
とろろ好きな人全員行って食ってくれ。自然薯アイスも本当においしいです。
店内は小さな資料館のようにもなっていて、丸子宿やその周辺、東海道に関しての説明もあります。
お土産も買って帰れるので、ぜひ訪れてみてほしいです。
静岡駅の方からバスも出ているので、比較的行きやすい場所ではあるかなと思います。
5 宇津ノ谷の集落とトンネル
さて、江戸時代の宿場町と言ったら長野県木曽郡にある妻籠宿などが有名ですが「古き良き日本家屋が連なる、いかにも山間の宿場町という雰囲気」は、中山道でしかお目にかかれない、とか思っていませんか?
実は、そんな景色が静岡県内の東海道にもあるんです。
(少しこじんまりしていますが)
一つ前で紹介したとろろの丁子屋から藤枝方面へと向かってトコトコ歩いていくと、宇津ノ谷(うつのや)峠という場所へ続いていきます。平坦な国道1号線を歩いて小一時間で到着できますので、そんなに苦ではないかと思います。
宇津ノ谷は家のまとまった場所なので宿場町かと思うかもしれませんが、実際は宿場町ではなく、間の宿(あいのしゅく)です。
宿場町の間で少し休憩が可能な、小さな集落になっている場所です。
中世、宿場の距離が離れていたり、峠などの難路には自然と人が滞留しやすく、その需要にこたえる形でちらりほらりと茶屋なんかが集まって村や町が興っていきました。
一応幕府非公認なので宿場ではなく、あくまで村や町です。そのため宿泊施設は営業してはいけない決まりになっていたのですが……、まぁいろいろと例外もあったようです。
詳しく知りたい方は下記を基に調べてみてください。都内や神奈川、東海道以外の街道にも間の宿として栄えた場所は結構多いので、読んでいて面白いと思います。
都内の大森や、横浜市民、特に戸塚区民には有名な戸塚の「原宿」なんかも間の宿ですし、名古屋の有名な伝統工芸、有松絞りの有松宿も実は間の宿です。
さて、そんな間の宿宇津ノ谷はアクセスの難しさから観光客も少ないのですが、とてもきれいな古き良き東海道の街並みが堪能できます。
現在も普通に民家として人が住んでいるので、くれぐれも住民の方の迷惑にならないようにしましょうね。
また、この坂道と階段を登りきると、東海道はそのまま明治時代の古いトンネルに続いています。
煉瓦作りのレトロな雰囲気が最高です。登録有形文化財にもなっています。
こちらは日本初の有料トンネルで、国土交通省のwebサイトに詳しい話が書いてあります。
ちなみにこの宇津ノ谷峠、実は歌舞伎作品の舞台にもなっています。
そしてこの地ではさらに、400年の歴史を持つ東海道より、さらに古い道を歩くこともできます。
蔦の細道です。
古典や歴史が好きな人は「お。」と思われたかもしれませんが、こちら伊勢物語に出て来ます。
東下りの段で在原業平が歩いていた場所ですね。
7世紀の律令時代には伝馬の道として使われていた記録もあるほどしっかりと古いです。
昔は昼間でも暗いほど木々の生い茂った山道で、東海道の難所の一つでもありました。
上記歌舞伎の作品名にも蔦が入っています。
明治のトンネルの西側(京都方面)は特に、昔の雰囲気がイメージしやすい景色でした。
蔦のような植物もちらほら見え「ここ自力で登るのか……」と思うような雰囲気です。
私は東海道を逸れることができないので歩いてはいませんが、気になる方はぜひ。
余談ですが、宇津ノ谷を越えて藤枝方面へ歩いていると本当に素敵な景色が多いので、個人的には春に歩くのをお勧めします。
6 千貫堤・瀬戸染飯伝承館
こちらは藤枝近くにある、江戸時代初期の大洪水を受けて作られた堤防跡です。
大井川氾濫から周辺の村を守るために、千貫(一文銭千枚で一貫)の巨費をかけられたことからこの名前がついたそうです。
現在は小さな資料館があり、ボランティアの方が詳しく解説してくれます。
住宅街の中のちいさな区画にひっそりと建っており、一部ではあるものの、しっかりと堤防だったことがわかるように土地が残されています。
東海道を歩いていると、太平洋に流れ込む多くの川によって、当時その近辺に住んでいた人々がいかに大変だったかよくわかる資料があちらこちらに残されてます。
洪水で街の被害が大きくて~、堤防を作るための助郷が~、藩主が話を聞かなくて~、などなど、時折血なまぐさい話や、胸の痛むような話も多くあります。
こちらでは現在までの地形の変化や発掘調査についてもまとめて展示してくれているので、様々な方向で勉強になります。
ここでは千貫堤と合わせて、この地域に伝わる東海道名物、染飯(クチナシで染めた鮮やかな黄色い強飯)に関する展示や解説もあります。
(染飯は江戸時代中期に作られなくなってしまったので正確な製法、味わいなどはわからないそうです。)
染飯はいろいろな物語、和歌、浮世絵の題材にもなっており、小林一茶はここでこんな一句を残しています。
染飯や 我々しきが 青柏
染飯の鮮やかな黄色と柏の葉の青々しさの対比を読んでいるとのことでした。
個人的な話ですが、俳人のメシレポ俳句が本当に好きです。最高。
資料館の敷地には、実際にクチナシの木が植えられています。
時期によってはここでクチナシを買って帰って、お家で染飯を作ることもできるようです。
現在は藤枝駅近くのお弁当屋さん喜久屋で、乾燥させていないおにぎりの状態の染飯を食べることができます。
私は既に通り過ぎてしまっていたので食べていませんが、こちらのお店は染飯意外のお弁当もとても美味しいらしいです。
ちなみに、資料館は抹茶アイスで有名なななや本店の裏にあります。
静岡駅周辺にある、観光客でごった返したカフェ風のお店よりもはるかにゆっくりと商品を見てアイスを食べることができます。売っているお茶や茶器の種類も豊富です。
藤枝観光の際はこちらも合わせてぜひ。
7 東海道金谷坂石畳、諏訪原城跡
石畳
金谷です。鉄道好きにはおなじみの駅ですね。
大井川鐡道の起点駅になっているので、SLに乗りたい人はここで大井川鐡道に乗り換えて、転車台のある新金谷駅まで行きます。
一方、東海道は大井川鐡道金谷駅とは反対側に続いていきます。
なーんもない駅東側……ではありません。
こちらしっかりと看板が立っています。
元々ここは東海道24番目の宿場町である、金谷宿の西側出入口にあたる場所でした。
数件の茶屋があり、石畳の急坂を降りてきた大名行列が、宿場町に入る前に身だしなみを整えたり休憩したりする場所になっていたようです。
一般の民が大勢いる宿場町を、大名行列がヘロヘロになりながら歩いていたら様になりませんからね。
そんな場所が作られるほど、この先は急坂が連続した地形になっており、東海道の難所の一つでもあります。
金谷駅から登っていくと、途中から石畳の急坂が現れます。
もとよりこの地域は粘土層の土が露出しており、雨が降るとすぐにぬかるむため、江戸時代後期に約400間(約720m)の石畳が作られました。
そして現在も石畳は江戸時代から続き……というわけではありません。ご注意ください。
石畳は明治以降、電話線や電線等の敷設のために掘り起こされ、道は舗装されました。
現在の姿は1991年(平成3年)「平成の道普請」と銘打った旧金谷町民による一人一石運動によって、石畳を430mまで延長したとのことです。
実際に歩いてみるとわかりますが、一つ一つの石がかなり大きいです。
自分の足は26㎝なのですが、余裕で30cm以上ある感じの大きさでした。
これを平成に入ってから一人一個は石運ぶぞ~!というノリで400m復元しています。えげつないですね。
(旧石畳が30m残っていたので、現在の石畳は新しいものと併せて全長430mです。)
東海道を歩いていて、このような気合の入った地域愛を見ると嬉しくなります。
各自治体でどれだけ東海道を大切にしているか見えるのが、好きで東海道歩いている人間からするととても嬉しいんですよね。
ちなみに、この坂を上って山の反対側へ下る際に通る間の宿菊川の石畳も2001年(平成13年)に町内外の人々の手によって復元されています。熱がエグい。最高ですね。
菊川の石畳には平成12年に発掘された、江戸時代の石畳も一部残っています。
諏訪原城
このお城は情報量的になかなか見ごたえがありました。
天守はありません。城の遺構(堀、曲輪、馬出)がかなり綺麗に残っています。激アツです。
築城は武田、その後徳川の手に渡った際に牧野城と名前が改められました。
武田時代は諏訪大明神にあやかった名づけで、徳川時代は古代中国の故事から名づけられています。
武田時代は信濃の小県(ちいさがた)郡の国衆室賀、小泉氏が城番だったという説があります。
室賀ですよ。室賀。
NHK大河『真田丸』のオタク大歓喜です。
さて、お城というとあまり興味のない人はとにかく天守を見て、上に登って街の景色を眺めて~というものが楽しみ方だと思われるかもしれませんが、それだけが楽しみではありません。
建造物が残っていなくても大丈夫です。
地形こそがアツいのです。
見てくださいこの丸馬出。えっっっっっぐい綺麗ですよね。
教科書に載るような美しさで残っている丸馬出です。素晴らしい。
これ見るためだけに諏訪原城行っていいのに、なんと金谷から歩けば、復元した東海道、江戸時代の石畳まで歩けるんです。最高か?
馬出以外にも綺麗に残っている地形がいくつもあって、本当に感動します。
諏訪原城には無料のビジターセンターがあって丁寧に解説をしてくれています。
お城も歴史も詳しくないし……という方でもここで一通り知識を入れてから、実際に城跡を歩いて散策してみてください。
館内のジオラマは地元の高校生が作ったもので、合戦している人たちの中に大谷翔平選手とかが混ざっています。遊び心がかわいらしいですね。
8 旧見付学校
こちらは磐田市見附宿にある、昔の小学校です。
JR磐田駅から徒歩30分、バスだと12分らしいです。
もちろん私は歩いているのでバスの本数とかはわかりません。調べてくれ。
現存する日本最古の木造擬洋風小学校校舎で、国の史跡に登録されています。
建物が素晴らしいだけでなく、中の展示では磐田周辺の学校教育の歴史や、明治時代の学生たちの生活も垣間見ることができます。
個人的な目玉としては、有名な酒井の太鼓が置いてあります。
戦国時代、徳川家康が武田に敗走した三方ヶ原の戦いという合戦があります。
徳川軍が浜松城までどうにか逃げ帰ってきたところを、武田の軍もしっかりと門の外までついてきました。
その武田軍を太鼓の音で追い払ったのが酒井忠次という徳川の重臣で、その時に使われた太鼓がこの見附の学校に伝わっています。
酒井忠次は徳川四天王の一人で、最近のNHK大河ドラマ『どうする家康』では大森南朋さんが演じていました。
作中とっても魅力的なえびすくいおじさんです。(大河ドラマではこの太鼓を打つシーンはありませんでしたが……)
酒井の太鼓は歌舞伎作品『太鼓音智勇三略』としても有名です。豆知識にぜひ。
建物の中は土足厳禁です。当時の学校生活だけでなく、見附の宿場に関する展示もありました。
展示は子供向けの物もありましたし、小学生や中学生の社会科見学とかで使われているんだろうなぁという感じがしました。とてもよい教材ですね。
磐田駅から少し距離がありますが、行く価値はあります。入場も無料ですのでぜひ。
9 旧東海道舞坂宿松並木
舞阪まで来ました。
なんだか記事を書きながら、のんびり静岡県内の東海道を歩き直している気分になります。(?)
東海道と言ったら松並木を想像する方もいるのではないでしょうか。
街道整備がされた当時、江戸幕府の命で街道沿いには街路樹を植えるようになりました。
並木は風雨や夏の日差しから旅人や道そのものを守る役割があります。
かく言う私もこの地を歩いた時は真夏でしたので、大変救われました。ありがとう松並木。
箱根では杉が植えられるなど、土地ごとの自然環境に合った植物が植えられています。
東海道全体で見ても、現在も並木の景色が残っている場所はそう多くありません。
※往時の松ではなく、のちに植え直しをされています。
個人的にはこの静岡県舞阪の松並木はとてもきれいで、かつ東海道内唯一脇本陣が残っている宿場町もすぐ近く、浜名湖を渡るための船場兼関所になっていたこの舞阪が、一番観光にうってつけなのではないかなと思います。
そして駅から近い!!!!!バカの距離を歩かなくても簡単に観光ができます!!!!最高ですね!!!!!
私がここを歩いた時は、前日に真夏の30℃超えの中、磐田から浜松を通って舞坂まで30㎞以上歩いていたので早朝とはいえかなり疲労がたまっていました。
もっと元気な時に観光したかったです。
そして朝早すぎて脇本陣開いてませんでした。9時以降に行くことをお勧めします。
舞坂宿の端にある今切の渡です。
浜名湖は1498年の明応地震などの災害で陸地の大部分が流され外海と繋がってしまい、それ以降は船でないと行き来できなくなってしまいました。
江戸時代になってからは、舞阪と対岸の新居に宿場を、新居には関も設けて人の往来を厳しくチェックしました。
関所の話は次でしましょうね。
弁天島の大きな鳥居を眺めながら、新居へ向かいましょう。
ちなみに、舞阪は昔の表記では「舞坂」です。大阪の旧表記が「大坂」なのと同じですね。
宿場の名前としては舞坂で表記しました。
10 新居関所跡
新居です。(旧荒井宿)
東海道では箱根とこの新居に関所が残っています。
展示もしっかりしていてよい情報接種ができるので、ぜひ訪れてみてほしいです。
さて、江戸時代の関所は人の出入りを厳しくチェックしていましたが、いったい何に注意を払っていたのか、と思われる方もいると思います。
関所で重要な交通政策は一般に「入鉄炮出女(いりてっぽうにでおんな)」と言われています。
江戸の治安維持のために行われた政策で、江戸に鉄砲が入ってこないように取り締まることと、江戸に置かれていた大名の妻子が逃げ出していないかを確認するためのものです。
参勤交代制度によって、正室と世継ぎは人質として江戸に留め置かれていたので、国に帰ろうと夜逃げする人もいました。
嫁いでからずっと江戸に軟禁状態なんですから、そりゃ夜逃げもしたくなりますね。
ちなみに関所破りは死罪です。はりつけにされます。
関所ではこういう人たちが厳しく荷物や人、通行手形をチェックしていました。
女の人については専用の「女手形」というものを発行してもらって関所でそれを見せるのですが、夜逃げの人は男装して関所の通過を試みる人もいたようです。
さて、そんなときに隅々までチェックをする係がこの人です。
何してるかわかりますか?
旅人が男装女子じゃないか、ちゃんと股間にモノがついているかを確認しているんです。
ちんこチェックばばあです。
は?
他にもいろいろと取り締まりのための女性が、まとめて住んでいた長屋内にある展示だったのですが、ここだけあまりにも強烈でした。
なんで浮世絵になってるんだよ。資料としてはありがたいけども。
ちなみに、女性たちの賃金については以下のように書かれていました。
「武家の下女奉公人程度でした」ということなので、そんなに多くもらえてたわけではなさそうです。
(どの程度なのかわかるように他の仕事との比較や物価を添えてくれ……。)
サンプルがいくつなのか、全員チェックだったのかは展示の内容からはわからなかったのですが、毎日毎日知らん男の股間チェックして安月給なんて悲しい……。嫌すぎ。
好きな人は良いのかもしれませんが。(?)
展示の写真を見てわかる通り、展示には小学生でも読めるように漢字にふりがなが振られています。
夏休みの時期だったので小さい子もちらほらと見かけて、よい学習の場になっているなと思いました。
宿場内の旅籠屋と併せて観光してみてほしいです。
おわりに
思ったよりも長くなってしまいました。
静岡の魅力が少しでも伝わったら嬉しいです。
みんなに東海道歩いてほしいですが、そこまでは言わないので、気が向いたら遊びに行ってみてください。
さすがに約170㎞全部歩きたい人は少数派であることくらいは自覚しています。
東海道沿い以外にも紹介したい場所は本当に沢山あって、今回記事を書きながら「自分静岡のこと好きすぎるな……?」となりました。
神奈川と埼玉しか住んだことがないのですが、非居住地の45都道府県の中では一番詳しくて一番旅行に行ってる気がします。
正直な話をすると、東海道の中でも今回書いていない駿河湾の東側、めちゃくちゃ面白いんですよ。
歴史、鉄道好きの心をどうにかこうにか薄めて、一般ウケを考えてこの10選にしました。
興国寺城とか岳南鉄道、製紙業の話とかしたいです。富士川周辺も本当に面白かったです。
どうか皆さん、この記事を読んで「へぇ~」で満足せずに、暇な時で大丈夫です、自分の足で行って、見て、感じて、味わってほしいです。
ネットで読める文字なんて、もとよりそんな大した情報量ありませんから。
この記事だって、現地で経験するのに比べたら本当にカスみたいなものです。
きっとこの文章も明日には8割も覚えていませんよ。
自分で経験したものが一番記憶に残ります。
経験値の高い情報で殴りましょう。
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